2011年10月27日木曜日

のぼってます

秋も深まり、冬の準備をささやかれる今日この頃。
生き物たちも冬になる前の準備のひとつ、次世代へのバトンタッチに一所懸命です。

あちらこちらの川には、産卵するための鮭がわんさか上ってきます。
その様子を見ることもできます。



ここの橋にもとうとう上ってきたようです(?)


橋の上で元気よく飛び跳ねてますね!
すぐ脇には オホーツク海。


湧別方面から紋別市街地に入る前に架かる橋に
街灯としてデザインされました。
もう少し暗くなる灯りに照らされた鮭が
道しるべになってくれるようです。

無事に上っていけるといいですね。
がんばれ!がんばれ!



2011年9月16日金曜日

切ってみると・・・

なんだかHappyなモノ発見です!!
地元の小学生がおしえてくれました。

これです!


網走市立郷土博物館横の丘にありました。

ちょっと太っちょなハートと寄り添う小さなハート。
思わずニッコリホッコリ☆

とりあえずさわってみましょう。
なんとなくご利益ありそうな嬉しいことがありそうな(^◇^)・・・


場所はというと。。。


切り株周辺から見える景色をヒントに探してください。

              ヒント:1

              ヒント:2




             大ヒント!
              この大木の近く。


暗くなると足元が見えなくなるので陽が落ちる前に見つけてくださいね。



2011年9月14日水曜日

風見〇

美幌博物館へやってまいりました。



風が吹くたび・・・あっちへ向いたりこっちへ向いたり。
風見鶏?





ん??
よーく見たら鳥じゃない。

どっかで見たことあるような体つき。
(実際見たことあったら、特ダネスクープですね)

これは、もしやっっ!!
謎の水棲生物”クッシー”では!!


クッシーは皆さんご存知でしょうか?
ネス湖にいるネッシー、鹿児島県池田湖にいるイッシー。
そして屈斜路湖のクッシー。
美幌峠の眼下に水を湛えた屈斜路湖を泳いでいたとの
目撃情報が多数寄せられ、
湖に生息する巨大生き物ではないかと言われておりまして、

今もなお・・・謎なのです。






クッシー、ここにいたとは。。。





2011年8月31日水曜日

ケロケロ



ぬぬっ! 
巨大なカエル出現かっっ!!


木の陰からのぞいているようにも見えます。
(大きいため決して隠れていませんがwww)


遠軽町生田原  世界のおもちゃが勢ぞろいしたちゃちゃワールドにようこそ♪
建物がカエルならば 口から入る感じ。。。


エントランスには、あの世界的にも有名な
僕らの人気者 ねずみ君が待ってます。

思わず握手!


そして影絵の巨匠・藤代清治氏の幻想的な影絵美術館では
おとぎの国へ迷い込んだ感覚に。なぜだか涼しいです。




外には、こ~んな鳥もいます。
カラカラカラカラ~と鳴きます(^◇^)





巨大ケロケロとカラカラ鳥に 会いに行ってください。





2011年8月8日月曜日

獲れますか?

「網走に着いたぁぁ~!!」


とJR網走駅に降り立つと目に留まる大きな人物像。




いったい、誰なんでしょう(??)







 『モヨロ人』 です。

今から1300年ほど前にさかのぼります。

北海道の縄文時代のあと
続縄文(ぞくじょうもん)時代後期から擦文(さつもん)時代にかけてオホーツク海沿岸で栄えた
”オホーツク文化”がありました。
(本州でいうと奈良・平安時代のちょい前くらい)

土器の模様や埋葬方法が特徴的で、何百年も続かずやがて消えてしまった
今も謎の多い人たちです。

網走にはそれらが発掘された遺跡があり、
その名も    モヨロ貝塚


そこに住んでた人たちだから
モヨロ人。


モヨロ人たち その当時北海道に住んでいた人たちより
ずっと大きくて頑丈そうな体格をしていたそうです。

そこで計ってみました。





アップ!



195~196cm?ってところでしょうか。。。

北海道日本ハムファイターズのダルビッシュ投手とほぼ同じ。
同じく右投げ!

でも、モヨロ人たちそこまでは大きくなくて、
推定で男の人が160~170cmくらいだそうです。
(もちろん、出てきた骨で調べるんだよ。)


モヨロ人は
海獣を獲って生活していたようですが、
ここでも銛で何かを狙っているようです!!






                    筆 : 「ねぇねぇ、獲れそうですか~?」
                    モ : 「だまっとれっ!今集中してんだから。。」








2011年8月3日水曜日

コロリン。。。




チョンとつつくと 今にも転がっていきそうな
なんとも危なげな岩ですが・・・。

コロコロコロ○○○○○○○○○○


日本百名山のひとつ『斜里岳(しゃりだけ)』の頂上付近から確認することができます。


うんしょと踏ん張っているようにも見えて、
下からつっかえ棒でもしてあげたい気もします。


毎年たくさんの人が登山に訪れますが、
この岩を眺めたところで、最後の上り坂に挑み山頂を目指します。


遠くからなので
いったいどのくらいの大きさなのかわかりませんが、
相当 デッカイんだろ~なぁ。

2011年8月2日火曜日

夏といえば


おっ!!!
なんかぶら下がってる。。。

なんかに似てる。
あの高級フルーツ




そうですっ。

網目のついたメロン 『訓子府メロン』です。




夏も真っ盛り!! 
店頭にはメロンが並ぶようになりましたが、
訓子府の街を歩けば、頭上にもメロンが並んでるんです。

ちゃんと上には蔓がヒョコッとついていて細かいです。


ライトとわかってるけど 美味しそう。


2011年5月27日金曜日

きのまちつべつ

『きのつべつのき』のまち。
津別(つべつ)の商店街です。



酒屋さんの看板。


引きで見ると↓




こちらは、手芸屋さん。




薬屋さんはレトロな感じに仕上げてます。





郵便局だって木の看板。




シュールな看板お肉屋さん・・・










建築板金 承ります。
猫ちゃんが家を修理中。

かわいらしい看板~と思いきや。

お店の前に座ってこちらをみておりました。
なるほどっ!



看板娘ならぬ「看板猫ちゃん」でした。

2011年4月28日木曜日

町のカオ

雪がとけて花も咲き出し、やっと春らしくなりました。
約半年ぶりに日光浴できた道路の脇や駐車場の片隅からは、
こんな芸術作品を見つけることができます。


予想をしなかっただけに、ちょっとした拾い物をしたような得した気分です♪
(ホントに何か拾い物をしたときは届けてね・・・)





ご存知 『マンホールの蓋』 です。

ご当地マンホールといったところでしょうか。

日本百名山のひとつ
秀峰斜里岳、焼酎工場、そしてじゃがいも畑がデザインされて
”KIYOSATO" とロゴも入ってます。

車や人やいろんなものに踏まれて少々磨り減ってる部分もあって、
哀愁ただよう風合ですね。


これ   マンホールですから、くれぐれも現物を持ち帰ることないよう
写真だけにとどめておいてください。

2011年4月21日木曜日

友好の証

網走川河口付近に、街に向かって立っているトーテムポールがあります。
網走橋と中央橋の間です。





どうして”トーテムポール”かって?
網走とカナダ・ポートアルバーニは姉妹関係にあって

友好の証

として建立。

カラフルに色づけされた動物のモチーフは、段々重ねになったシャチやカエルたち。
あっかんべ~をしているようにも見えますが、たぶん違うと思います。
時々、枝にたいな鼻みたいな横棒に鳥がとまって
羽休めをしていることもあります。
まっすぐに伸びた樹は「赤杉」というそうです。
(ちなみに背景の青は空の色です。オホーツクブルーです。)

10メートルほどの高さがあるトーテムポールのてっぺんからは
何が見えるのでしょう。




ところで・・・。
オホーツク海と網走湖をつなぐ『網走川』に
橋は何本架かっているでしょう。

1本、2本......3本?
う~ん、もうひと声っ!



2011年1月23日日曜日

大きな表札?

オホーツク海に面した街、湧別町。
広大な面積を誇る”チューリップ公園”があります。

日本最北のりんごの産地でもあります。
遠軽へ通じる国道242号線の道路脇にはりんご並木が見られますよ。



そして、コレッ!!
街のあちらこちらに煉瓦の建物があるのに気づくはず。



実は、大正時代煉瓦製造工場があったんです。
今は、セラミックスの製造会社が引き継いでいます。

農場のサイロもそうだし、チューリップ館の壁もレンガです。

牛舎や工場、倉庫等煉瓦の建造物が残されています。




高~いエントツを見上げると・・・




あらぁ~これはもしや・・・
名字ですか?



これだと遠くからでも
場所がわかって目指すことができますね。
大きな表札ってとこでしょうか。


他のおうちのサイロや倉庫にも
てっぺんに名前が描かれていた名残りがうっすらありました。


2011年1月4日火曜日

あらら、この人は・・・



おやっ、おやおや!




もしやこの人は、昨年演者とともに話題となった
『坂本龍馬』さんでは・・・。


北見の”ピアソン記念館”を訪れたときに、ある展示室の壁に
これは貼ってありました。
どうして土佐出身の龍馬さんが、遠くはなれた北見の街に
掲げられているかというと、
もちろん縁が無いわけありません。
北見地方発展の基盤となったのは、
明治後半、屯田兵中隊が北見地方の野付牛に
配属されたことによるものです。

そして、民間の立場から北海道開拓を進め
日本の独立を守ろうとしたのが、
幕末の英雄坂本龍馬の甥”坂本直寛”なのです。
直寛は龍馬の姉千鶴の子と生まれましたが、兄権平の養子として家督を継ぎます。

北光社を設立し高知県から大勢を引きつれ入植した直寛は
宣教師ピアソン夫妻との親交もあり、
かつての夫妻の住宅でもあった、この記念館に
ポスターが貼られている・・・というわけなのです。




ピアソン記念館は、当時としてはとてもモダンな造りで
外観も可愛らしく
時折、散歩したりスケッチに訪れる人も多いとか。